2025年9月18日木曜日

2025/09/13(土) バトルライブ敗戦とフォーマット論

社会人芸人バトルライブ『藤四郎』弐拾ノ陣:銅狐 に出演。

予約した会場近くのレンタルルームに集合。

レンタルルームの入居している雑居ビルの1階に「社員は悪くありませんから」の会見で有名な山一證券の消火器ケースを発見した。


社員は悪くありませんから

会場へ行き、エントリーフィーの支払いを済ませる。スタッフさんと言葉をかわす。


部屋へ戻り、着替えながらネタの練習。

覚えるのに苦心したネタだったが、一度ライブでやった時あやふやだった反省を活かしなんとか覚えた。それでも今までのネタで一番時間がかかった。

一言一言が、相手のセリフにも自分の一つ前のセリフにも関係のない分断された要素のように感じられる。円周率のように暗記するしかない。

しかも早口が求められ、言いながら確実に次の台詞の冒頭のロードを完了している必要がある。そのレベルに到達するまで時間がかかった。

自分が書いてないからなのかもしれない。

直前のリモートネタ合わせで覚えられないことを小馬鹿にされたことにも腹が立っていた。次からこれくらいの量(2/3)以上、改変されたら改変した人間にボケをやってもらおうと思った。


着替えて再び会場へ。楽屋で主催の方とも言葉をかわす。

スタッフさんとの会話もそうだが「なにか気の利いたことを言わないといけない」と思ったっきり何も喋ることが思いつかない。出番直前の最も緊張している時間帯に他愛のない会話をするというのはなかなかのマルチタスクだ。「楽屋」というのはそういう場所なのかもしれない。

ひろのさんにおしゃべりをお任せして一言目のセリフを暗唱したりしていた。

そもそも楽屋で何を話せばよいのか?前回、中MCで呼ばれたときも思ったが、ライブに行く=ネタをする しか頭にないから、それ以外の用意が何も無い。

普通は楽屋で話すことなんてわざわざ用意しないのだろうが、私は「お笑いをするときに相方以外と接する自分」のパーソナリティが出来上がっていない。「この人とは何を話すべきなんだ」と立ち止まってしまう。「よく思われたい」というよこしまな思いがあるのかもしれない。そんなことを思うなら今後も盾になってもらおうか。


トップバッターで出番を終えた。

ミスなくできたのが嬉しかった。低レベルな目標だが前回同じネタをやったときのリベンジは果たせた。


昼食、近くのとんかつ屋へ。


ロースかヒレかだったらもっぱらヒレ


レンタルスペースへ戻るとアンケート結果がグループラインへ共有されていた。

バトルライブだけあってか、しっかりとフィードバックのコメントが書いてあって非常にありがたかった。

今年はじめの「ロビー」以来、ネタの中でのぎょんの使い方を大きく変えて漫才では2本目になるが、その使い方について「トリオをもっと活かしてほしい」という意見がほとんどだった。

この使い方の一番の問題点が露呈したことになる。

この使い方の漫才の1本目「筋書きのないドラマ」は最後にひろのさんの怒りの矛先がぎょんの最初の発言に帰着する形で回収されていたが、今回の「職業病」は単なるオチ台詞の分担にしかなっていないので物足りないと感じられたのかもしれない。

次回やる予定の漫才も現状では同じフォーマットだったので、急遽フォーマットのパターンについて会議した。

提案したのは3つの大枠の方向性。1つはこのまま突き通す。もう1つは、少なくともぎょんが効果的に機能していた「筋書きのないドラマ」に類似する流れを定番化する。3つ目は、トリオで漫才をやるにあたって当初考えていた、3人が均等に喋る基本のパターンに立ち戻るというもの。3つ目がアンケートに書いてもらったデメリットを根本的に修正する対応になるが、「3人が均等に喋る」というやり方はこれまで模索してウケなかった方法であり、打開策を見つけるのは難しそうである。また、修正工数も大きい。

ひろのさんから「ネタの内容に合わせていいフォーマットをどれでも選べばいいんじゃない?」という発言があり、私はネタを書く側から見たフォーマットというものの立ち位置を分かってない発言だと思い、また、決断をネタ作成者に丸投げするような発言でもあったので反発した。

ネタの構成要素を大きく分けるとフォーマットと内容の2つがあり、フォーマットから先に選択しないと、内容を詰めていくうえで一番制約が少ないフォーマット(つまりここで言えば、2人が大部分を喋って最後に3人目がオチ台詞だけを言うフォーマット)に自然と流れていく。そのため、「ネタの内容に合わせて良いフォーマットをどれでも選べばいい」というのは頓珍漢だと思った。


そこから、次回の漫才のフォーマットを現状のものから、「筋書きのないドラマ」のような流れに変更することにした。

ただ、これは簡単ではない。ひろのさんには書いたネタを改変されることの辛さを考えて欲しかったのでいろいろ思ったことを言わせてもらった。

ネタを書いてない彼らはフォーマットを変えることとネタの内容の中でボケを増やしたり減らしたりすることの区別ができていないようだったので、重大さの違いを理解してもらう必要があると思った。

フォーマットは入れ物である。キャラ付け、喋る配分、喋る順番、3人の中での関係性などパラメータが多く自由度が高い。一方で内容はネタごとに制約がある。より自由なフォーマットに合わせて自由度の低い内容を変えるのはナンセンスだということをわかってほしかった。

フォーマットを作って、そこに内容を流し込むことは比較的容易だが、内容を流し込んだ後のネタのフォーマットを変えると、内容の様々な箇所へ波及してその度に変えていかないといけない。すでにおもしろい言い方と展開をフォーマットに合わせてせっかく固めたのに、そのあとでフォーマットの変更が起こると、ただ”帳尻を合わせる”ためにそのおもしろさの根幹をどんどん変えないといけなくなってくる。その重大さが何も分かってないことに腹がたった。

これは組んでからのネタ合わせの修正でずっと起こっていることだということにこの時点で初めて気づいた。おもしろくなるための変更じゃなくて、帳尻を合わせるためだけの変更をずっとやっている。


文句をたれながらフォーマットの変更とそれに伴う内容の修正を済ませてネタ合わせ。あとは当日までに覚えるだけ。


ところで、我々はこの活動をぎょんの「スターになりたい」発言から始めたのだが、ぎょんは随分前にもうスターを目指してないらしいということが今日わかった。

コロナ禍に私とひろのさんがプロデュースしたYouTubeを辞めた時点でそうで、今回の漫才のパターンになった時もそう思ったらしい。ぎょんの次の目標を探さないといけない。それはぎょんのためではなく、私のネタの作り方の方向性を定めるために。


19時に解散。


ネタの作り方について私はいま、べき論に陥っている。仕事での経験則ではべき論に陥る人の傾向として「同じ仕事にずっと携わっている」というのがあるのだが、今回の私もそうで、ネタを書くというひとところに居すぎている。だからべき論に支配されているのだと自己分析する。


さあ、ここからどうするか。私がどういうマインドに切り替えたら正しく山の頂上に向かっていけるのかを考えないといけない。


今年も負けが続いていることから、もう辞める気持ちは固まりつつあるのだが、そんな中で他の二人には不満が溜まっている。文句ばかりで理想像ばかりで具体案のないやつと、何の知識もなく的はずれな意見しか出さない目標もないやつに見えてきている。こういうのって大抵、終わると決まったら楽しくなるんじゃないのか?YMOの「浮気なぼくら」みたいに。


では今日は最後に、YouTubeを見ていて「これは大事かも」と思ったメモを2つ書き残しておきます。


https://youtu.be/vp1V8lB9Y10?si=8bSfEiH7qLJtXWD8

38:11 

「ウケてない時はフリが効いてない」

「フリは説明の時間だと思ってる?漫才始まってるよ?」


https://youtu.be/_jhhSUbcoA4?si=Ir5drkvNv0cViJnC

31:44

「ネタ作るの苦じゃないって言ってる人、大概おもんない」

2025年9月4日木曜日

2025/08/30(土)「むせ料理」、中MCの悩み

みんなのペチカ vol.159・1部へ出演。

10時過ぎに下北沢駅に集合した。


会場へ向かい、場当たり。

今日のネタは椅子と机の配置が少し複雑だったので配置の要望をスタッフさんへ伝達。

これまで「椅子を3つ等間隔に置いてください」程度の簡単なものしか言ったことがなかったので、このような細かい指示は初めてだった。(ちなみに同様に負担軽減の理由から音響照明も使ったことがない。)

あとから映像を見返したところ完璧にバランスの良い配置にしていただいていたので、スタッフさんには感謝しかありません。


場当たりのあとはレンタルスペースへ。

練習を数回行い、気になる台詞回しや発声のタイミングを指示する。

この整い具合を思うと「プロ意識」で「当日までキャラが定まっていなかった」状況は異常事態だったと思える。

小道具がある状態で練習できるのも今日が初めてだったので小道具を使った練習もする。練習はなるべく本番に近いほうが良い。これは仕事柄思うことでもあるし、ひろのさんの「本番のパフォーマンス任せ」なスタンスへの懐疑的な姿勢からくるものでもあるかもしれない。

小道具があると、本番でやられると気が散るような細かい小道具の使い方の気になった点なども指摘できた。衣装に着替えて最後に通し練習。座るときにネクタイが触れると机の上の小道具を落とすかもしれないと気づき、気をつけようという発見があった。やはり練習はなるべく本番に近いほうが良い。


本番へ。

今日やったネタは「むせ料理」。

人が少ないということもあり正しい反応のデータが得られたかはわからなかったが、序盤の明確なツッコミがない部分がウケたので安心があった。

動画審査に提出する予定だったので、失敗なく時間内にできたというのがひとまずうれしかった。


中MCで呼んでもらえた。

ペチカに出るときは中MCで呼ばれることを常に目標にしているので嬉しい。

ネタの構造について褒めてもらえた。それも大変嬉しいことだった。

ところで中MCでは私は特に何も喋れず反省した。その後反省会でも中MCについて議論になったが、お互い誰が喋るのかということが何も決まっていない。

なにかしらある程度決まったパターンを作ったほうがいいのではないかと提案したら、ひろのさんはその場の質疑の中で落とし所を探すべきだと言われた。おそらく私にはそれは難しいだろう。「このルートに乗ったらここに到達する」みたいなボルダリングで言うところの掴む石のようなものがあったほうがいいのではないか、そういった訓練をしていなさすぎるのではないかという話はした。

しかし今日は実際、MCの方から問われたことに対してひろのさんが答えてウケていたし、ぎょんの変な行動をひろのさんがちゃんと処理してくれたので、中MCはひろのさんに頼ってよいのだと思った。つまり、そこは任せたうえで私は私で思いついたことを言えるようなシミュレーションをしておくなどの努力をしないといけない。

私はこういうところから脳内の悩みどころの回路に迷い込み、ひろのさんはうまいこと悩みどころの回路に入り込まないように設計されていて、その分岐の違いが出たのかもしれないと思った。


昼食。レンタルスペースにほど近い洋麺屋五右衛門へ。


来たパスタにカットレモンがついているのを見て、
「前回と同じメニューを頼んでしまった」と気付いた。


レンタルスペースへ戻り、次のネタの練習。

前回の練習でセリフはだいたい決まったので、反復練習。私のセリフ量が多いが、時間ギリギリを攻めたいようなので覚えないといけない。


更に次のネタの練習。

他のメンバーになんだかネタ選びへの積極的な姿勢が見えてこないことに最近気付いたので、こちらがやりたいネタを指定してみた。「台本が余っている」という珍しい状態が原因なのかもしれない。

とりあえず直近は漫才の映像が必要そうなので漫才の練習を。台本を読んでもらって、ひろのさんから思いもよらない点に引っかかってこられたので「そんなところ気にするやついるわけねえだろ」と言いそうなところを堪え、「そう思うお客さんもいるのだとしたら修正が必要だね」と言うにとどまった。とりあえず練習してみたら4分あったので3分にしないといけない。


次の日曜劇場が競馬をテーマにしたものであることを競馬好きのぎょんに教えてあげた。そこからドラマのテーマが似たものばかりに偏る理由、誰もやったことのないテーマの話をする時間があった。名もなき安ジュース会社のドラマはどうだろうか。

なぜか誰も詳しくないK-Popブームを振り返る時間もあった。


いつも通り19時にレンタルスペースから退却し解散。

日が沈むのが早くなってきた。


では、最後に最近思ったことを書いてお別れです。


・常にクヨクヨ悩む質なので、ママタルトのラジオ母ちゃん #270 の「クヨクヨする時間はもったいないから屁こいたりする時間に当てるようにしている」という真理について考えている。


・お笑いファンとして思うが、誰も暗い人間を応援しようと思わない。「暗いキャラ」ではなく「暗い人間」は応援できない。私は暗い人間だからそれを見せないか明るく虚勢を張るしかない。


・悩むことに意味はない、本来は次面白くなるためにはどうするかだけを考えるべきなのになぜ悩むかに悩む。(←これ何も書いてないのと同じだしもうこれまでに何回か書いてますね。でもこれをメモった時点ではこう思ったのだからしょうがない。)


・今日は布団に入ってから1時間悩んだけど、翌朝録画したゴッドタンの「気づいちゃった発表会」を見てたら「突然ネタを量産しだす芸人、翌年の賞レースで結果出ずに敗退する」「準々決勝以上でそういう人見たことない」「SNSでネタを作ってることをアピールしている人は危険」と言っていて身につまされた。去年までネタ作りにノルマを設けていたのだが、「日々お笑い活動の現状について思い悩むのはネタを作りすぎているからナノではないか」という仮説を昨年末に立て、今年はネタづくりノルマを作らないようにしていた。半年経ってネタを書いていないことに不安になり、ここ数ヶ月はネタの量産体制に再び入っていた。そのような状況下でまた悩み始めてることに気づいた。つまり「ネタを作りすぎると悩む」という仮説はおそらく正しそうだ。量質転化を信じて今までやってきたが、量を絞って質の向上に努めたほうがいいのだろうか?しかし、悩むことが問題なのであって、量質転化が間違っているという証明がされたわけではない。どうしようか。


・一次的なコンテンツはインターネットではウケにくいとよく思う。適切に定義された用語がすでにあるのかもしれないが、映画を撮る、音楽を作る、漫画を書くといった一次的なコンテンツに比べて、それに対する批評や感想と言った二次的なコンテンツのほうが、テキストベースのSNSでは閲覧数を稼いでいる気がする。動画ベースのSNSでも、漫画のパロディをする、音楽に合わせて踊るといった二次的なコンテンツのほうが流行る気がする。もちろん二次的なコンテンツの参照元となる一次的なコンテンツはそれ以上に認知されているのだが、一次的なコンテンツを作る人にとっては苦しいと思う。苦しさの一方で絶対に一次的なコンテンツがないと二次的なコンテンツは生まれない。ほとんどが日の目を見ない世界で実直に作り続けるしかないと思う。


・ショート動画で見たのだが(←最悪のソース)うつ状態の人の思考には未来と現在がなく過去しかないのだという。まさしくそのとおりだと思った。私の思考がふさぎ込むとき「こんなにやったのに」「なんであんなことになったのだろう」という過去の事象が脳内を支配している。新しいことをやるときに楽しい気分なのはそこに過去がないからだ。次からはふさぎ込むとき、そこから「未来と現在はどうだろうか」と考えてみたい。ん?そう思えないからうつ状態なのか?循環論法?


・ショート動画で見たのだが(←最悪のソース)サカナクション山口一郎が生配信で「音楽でビジネスをやりたくない」と嘆いていた。アートを職業とする人は、まずアートでメシが食えないという苦しみから始まって、食えるようになってからはアートがメシに喰われるという苦しみが始まる。大変で崇高な職業だと思う。会社員の傍ら創作をするものとして、「メシに喰われる恐れがないからこその創作」をするのが目指すべき道で、アートを職業とする人に対してのリスペクトになるのかもしれない。


・ショート動画で見たのだが(←最悪のソース)岡田斗司夫が(おそらく、売れない漫画家か小説家からの悩み相談に対して)「人生に勝ち負けはないけど、残念ながら才能の世界には勝ち負けがある。結果が出ないなら才能の世界では負けたことを認めて他の人生を歩んだ方がいい」と答えていた。世間一般では「続けることも才能」ともよく言われ、それを頼みの綱に続けている部分が大いにあるが、どこかで負けを認めないといけないのかもしれない。


・現状に不満はあるけども、「じゃあどうなりたいのか」と言われたらそこまで明確な答えを持ち合わせていないのかも。

2026/2/22(日) 赤坂

3月のライブにエントリーもして、ネタの候補も揃ってきたので練習するために集合した。 ミッドタウンで昼食 ミッドタウンの鶏肉は柔らかい 最近街で見た芸能人の話。 レンタルスペースへ移動。位置的に良い場所だった。 2月上旬に集合の仮日程を入れていたのだが、前日までバラすのを忘れていて...